日沼禎子[女子美術大学准教授]×岸井大輔[PLAYWORKS]
2003年の創始以来、青森市古川のまちを中心にアート・プロジェクトとして独自の活動を展開してきた空間実験室。
レジデンス・プログラムなど先駆的な活動や、運営を支えるスタッフの育成など、
その成り立ちと歩みの実相を日沼禎子さんに語っていただきました。
この対談の前半は、フリーペーパー『ゆっくり考えたい』第5号(2011年12月発行)に一部収録されました。
本サイトでは、未収録部分とともに掲載します。

地域のアートとレジデンス・プログラム
日沼 ACAC(国際芸術センター青森)を準備室からやって来た段階で、どうやって地域の人たちと一緒に場所を作っていくかは課題で。私自身はプライベートも仕事も同列な感覚でやっているんだけど、ボランタリーの人たちにとってみれば、やらされてる感が出てきちゃう。その辺のもやもやがずーっとあって、自分がプライベートでやっちゃう以外、説得も出来ないし、自分の中でもパブリックってことへの解決が出来ないかもしれないっていうとこで、ARTizanを並行してやり始めました。
岸井 東京アートポイント計画は、地域アート・プロジェクトとしては後発になる。はじまって3年間、ボランティアも育って来ている。今の禎子さんが言うような葛藤、それは大阪でココルームやダンスボックスが得た葛藤とも同じで、それぞれ3年目くらいで一回、行政とどうするかって話が出てくる。《東京の条件》が最初から3年って言ってたのは、3年くらいで決別する時期が来るであろうと、先例を見て知ってるから。こういうとき、事例が役に立つと思うんですけど、空間実験室で[注1]どのようなことをやって来たか、歴史を聞いてもよいでしょうか。
日沼 1999年に青森に戻って、その準備室の仕事に入って。アーティストインレジデンスを考えたときに、アーティストとマネージメントのどっちかがイニシアチブをとる関係じゃなく、また、市民が恊働する場を標榜しましょうよってディレクターの浜田剛爾[注2]と話していて。
岸井 僕初めて横浜に入ったの1999年で、「街にアートが入る」って概念はあるけど、実行例も、話し合える相手もほとんどいなかった。トリエンナーレをやるらしいって噂は伝わってた、ぐらい。年号からも動きからも、そのころBankARTができるストーリーを思い出させますね。
日沼 そういう機運があったとは思うんですよ、NPO法が出来たのはその辺りだし(1998年)。
岸井 まともなNPO事務局やNPOネットワークがやっと日本で立ち上がってく興奮みたいなのはありましたよね。そういう活動は半分イリーガルな感じだったイメージがあったところから、行政が共同オフィスを準備してくれたり、ネットワーク市が出来たり、そういう時代でしたよね。
日沼 そういう意味では、レジデンスプログラムって日本はほとんど行政主導で始まりました。
岸井 同時期に「遊工房」[注3]もありますよね。(代表の)村田夫婦は本当にすごい。今気付いたけど、どっちも夫婦ですね(笑)。
空間実験室のはじまり
日沼 空間実験室は2003年に、もともと青森県の文化振興のパイロット事業としてはじまって。当事、若手の行政職のスタッフが自分で政策を提案するってことを盛んにやっていた時期に、商店街の空き店舗で「若者のたまり場をつくろう」というプロジェクトが提案されて。最初の2年間は、行政が予算も人も出してやっていた。そこの場所作りに、こっちの日沼(夫)が最初に関わっていて。2005年に、そろそろ行政から独立しないか、って。その担当の方に、「私たちが引き継いで、県的には業績残してバイバイ、民間に引き渡しましたっていう美しい絵を描いていなくなるのは絶対許さん。あなたが、プライベートでこれに関わるって約束をするなら、引き受けます」って条件を出した。それで2005年から私たちの自主事業としてやり、代わりに県もまるっきり手放すんじゃなくて補助金も少し出してもらいながら、私たちはプライベートで、ファンディングも民間からとって来て。最初の年は、事務局をひとり雇えるぐらい、予算もがつっと取れた。独立してからの方向づけをするためにある程度自由に、使えるお金があって。ただ単に場所開いて地元のクリエイターの人たちを紹介するたまり場じゃなく、それぞれが成長したりスキルをのばしたりするための何かをやりたかったんです。18週毎週展示替えをしてました。やりたい人は全員出展できる仕組みで、参加費を高校生でもお小遣いで出せるぐらいはもらって、タダはよくないので。それプラス、スタッフが考える企画を毎週土日に。トークイベントだったり、演劇だったり、ライブだったりを、毎週無理矢理テーマを決めて。
日沼智之 なんにも脈絡なく、内容関係無く、イベントの名前だけ先に決めたんです。
日沼 「今週はちょうど敬老の日があるから、寿ウィーク」「演劇ウィーク」「豆ウィーク」そういうのを、とにかくやり続けた、1年目。
岸井 毎週イベントがあるっていうのは、常連のお客さんから見たら超楽しいですよね。それは客育ちますよね。思いついたらとにかく爆走してしまうタイプのキュレーターなのですね。でも空間実験室のプログラムって、海外とか国内からアーティストを呼ぶようなことも、
日沼 そうなんです。ACACに来てるアーティストが実験室にも遊びに来てくれる感じもあって。
岸井 青森に訪ねて来ちゃったアーティストの継続的な活動を支援しようみたいな発想になったんですね。禎子さんが、わりと選んでるんだって勝手に思ってました。そこでやるアーティストを。
日沼 考えてはいる。実験室の場合は、例えばアーティストがはじめてる場所と違うのは、以前「教育プログラムですよね」って言われたんですよ。アーティストにプロジェクトはやってもらうんだけど、そこに関わるスタッフがどんな風にそこで伸びていくかっていうことの方が実は考えていて、それが出来るアーティストに来てもらっていた。「こんな状況で、ぜんぜん美術教育も受けてないような子達が来てるんだけど、一緒にやってくれるか」って話して、そのときに何か恊働のチャンスを狙ってるアーティストがいるか、お互いのマッチングを見極めてはいる。
岸井 出たとこ勝負も含めて関係性でやってくのって、「これ面白い」というマインドに正直じゃないと、途中でだっさいことになるんじゃないかな。
日沼 そうですね、それを持続し続けることこそが、プロフェッショナルかどうかが問われるところっていうか、お互いの責任を含めていいクリエーションしよう、と常々思います。あと、どうやってメンバーを繋ぎとめるかって、ひとりひとりが関わる仕事を作ることなんですよ。翌年は、空間実験室内の改修工事を自分たちでやるチームを「男学校」って言っていた。それで「女子は、会議じゃない?」みたいな話をして「乙女会議」を。主にはカフェの運営をするスタッフが、メニュー考えたり、「実験室の接遇とは何か」とかちゃんと研修して。メニュー作るときにはパティシエの女の子に来てもらって、キッチンがある公民館借りて、
岸井 その辺のチラシ見た見た。「何やってるんだ、大丈夫かこの人たち」って思ったのすごい覚えてる。だって普通に料理教室みたいなチラシだったですよね。
日沼 あとは雑誌『在青手帳 乙女会議編』を作ったり。空間実験室も、プライベートと仕事っていう垣根がなくて。こっち(夫)の家族と一緒に住んでるんだけど、若い子たちがなし崩し的に泊まりに来たり、勝手に風呂入ってたり勝手に冷蔵庫あさってたりするような、出来事の日々。続けられるのはやっぱり家族のバックアップが、ないと、できない。特に女子は。できません。それはもう日々助けてもらってますよね。
岸井 でも男子が活動して女子がバックアップするよりも、女子が活動して男子がバックアップしてる方が、いいね。自分がやれるかどうかはともかくとして、そっちの方が美しいわ。
オルタナティブな活動と記録
日沼 あんまり先例がない中でそれをやって苦しかったのが、なんと言ってもアカデミズムの中に位置づけができてこないこと。
岸井 同感で、地域に関わってプロジェクトやってると、この問題を解決してこれを表現しようと思ったら、この地域の問題解決しても意味ないなみたいなことにどんどんなってきてる。
日沼 そうですね、ただアーティストの仕事は勿論、常に先に先に走って行くっていう存在だから、それをアカデミズムのところでつかまえていくのは追いつかないことは絶対分かってるんだけど、でもその方法論だったり、なんでそれがっていうことをちゃんとつないでいく必要がある。何故かって言うとやっぱり現代のことって、もうみんな素通りいつもしてて、ちゃんと概論なりお手本になる文脈とかがちゃんと残せてないんですよ。本当に表層的なとこでどんどん先に行っちゃって、追っかけるのに必死だし、でも昔よりスピードが速かったとしても、ちゃんと残してかなきゃいけないようなことは絶対あるんでそこは分断させたくない。
岸井 確かに、記録ということも大事だけど、もうちょっと文脈の整理とか、これはどういうことなのかっていう用語を作るっていう活動こそ、求められてるなっていう感じはします。現実にアートが関わってくことを考えたときに、政治性を考えたら戦略が未だに、左翼と右翼と中道しかない。左翼的っていうのは社会問題とか弱者を明らかにして、そこに感情移入するなり表象するなりのやり方、「ここに問題があるよ」。で右翼的っていうのは、なんかみんなでパーッと盛り上がって、問題をうやむやにするくらい、派手にイベントにしちまおうみたいな考え方、「祭りにしよう」。で中道っていうのは、「いやいや、そこは丁寧にやろうよ」っつってこじんまり鍋をするみたいなの。それぞれ与えられる批判ももう40年くらい同じで、例えば中道的なやり方だと「内輪になって、結局ある内輪の人にしか届かないメッセージになっちゃうよね」、ってだいたいそこから左翼にいくんだけど「まあそれは過激すぎてみんなの反感を買うよね」って言って、でなんか祭りっぽい感じになるんだけど「そんなに弱者無視していいのか」ってまた鍋に戻って来るっていうね。この輪廻転生みたいな現実との関わりから脱したい。個別に見ると、例えば上田假奈代さん(ココルーム)とかART LAB OVAとかは脱してるように見えるわけですよ。でも批評言語が前のままだから、「ああ、假奈代さんは左翼的な活動だよねー」とかいう話になっちゃう。ART LAB OVAなんて「左翼的な活動だよね」なんて言えねーよ、あれぜんぜんそうじゃねーよみたいなことがあるので。だから記録には理論的な位置づけも入らないと。やっぱりお互い表象しあうのがいいんだと思うんですけどねー。空間実験室について、他の3アーティストぐらいが、寄ってたかって表象するみたいなヤツが。だから、一番難しいなって思うのは、こういうプロジェクトにとってやっぱり一番クオリティがどこに出るかっつったら、関わってくれるボランティアとか市民の人とかがどんな愉快なことをしているか。だけどその部分は、記録も本人に書いてもらえれば一番いいんだけど、その面白さに到達するようなことは本人にはそれこそできなくて、作文として「こういうことしました」みたいになる。かといってその人無視していいライター入れて書くっていうのも違う。節目節目をちゃんと表現していくっていうのを、おやりになりたいっていうのはかなり壮大な計画だし、40ぐらいで抱く大志としてはすばらしいなと思うんですけど、なんかビジョンとかあるんですか、ここから手を付けていきたいとか。
日沼 私はむしろ実験室もそうなんですけど、うちの前の館長のアーティストの仕事をレコードしようと思っていて。オルタナティブっていうところを、パフォーマンスでやって来た人。インスタレーションって今は平気で言ってるけど、パフォーマンスとの関係性についても、まだまだ言及されている記録が足りない。実験室っていう自分の等身大でやって来たことと、パブリックのACACの立ち上げから10年やって来たことと、そこで出会って来たアーティストとか、それをつないでくれた浜田さんっていう存在とかを、自分が分かる範囲でちょっと並べてみたいっていうのが今の目標。多分それって現場にいたときだったらできなかったことなので、大学に行って、しゃべりながら整理したい。
2011年10月10日
構成:羽鳥嘉郎
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注
(1)空間実験室
2003年より、青森市古川を中心に展開するARTizan共催のアートプロジェクト。空き店舗を利用したフリースペースを運営。年代を問わず実験的、独自性のある、意欲ある発表を行う個人、団体に空間を提供。作り手のみならず運営に関わるボランティアスタッフを幅広く育成し、地域の芸術活動の振興を図る。
http://spacelab11.exblog.jp/
(2)浜田剛爾(はまだ・ごうじ)
1944年、青森市生まれ。1968年東京藝術大学彫刻科卒業。1972年『嘆きの壁』のパフォーマンスを出発点として、ドイツ、オーストラリア、カナダなど世界各地で公演。ビデオ、写真、音響機器、蜂蜜、塩、血液など、多様な素材を用いたインスタレーション空間でパフォーマンスをおこなう、日本を代表するパフォーマンス・アーティストの一人。他に展覧会、国際展のプロデュースも手掛ける。少数民族の研究やパフォーマンス論を数多く発表。現在、「国際芸術センター青森」館長。
http://hikuiyama.com/goji-hamada/
(3)遊工房アートスペース
東京・杉並にて1989年より、都市滞在型のアーティストインレジデンスの試みを開始。2001年に、2つの創作スタジオ、展示ギャラリー、長期滞在用レジデンス2か所、及び交流スペースとオフィスからなる施設に改装し「遊工房アートスペース」としてリニューアル・オープンした。レジデンス・ギャラリー事業と同時に、芸術文化を通した地域活動を推進。共同代表:村田弘子・達彦。
http://www.youkobo.co.jp/
(4) 上田假奈代(ココルーム)・ART LAB OVA
『ゆっくり考えたい』第3号掲載、鼎談「アートの力(を信じる)をめぐって」と以下の記事を参照。
>岸井大輔『「場の劇評」シリーズ─2 ココルーム滞在制作のためのリサーチレポート』
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プロフィール
日沼禎子|ひぬま・ていこ
1969年青森県生まれ。ギャラリー運営企画会社、美術雑誌編集者等を経て、国際芸術センター青森設立準備室、同学芸員を務める。アートサポート組織「ARTizan」プログラムディレクター。アーティスト・イン・レジデンスを中心としたアーティスト支援、プロジェクト、展覧会を多数企画、運営。現在、女子美術大学芸術学部准教授。
http://artizan.fromc.jp/
日沼智之|ひぬま・ともゆき
SUN HAUS主宰。建築士、現場監督、アートコンストラクター。オルタナティブアートスペース「空間実験室」にて、建設業に携わる経験を活かして、空間設計・設営部門「男学校」を運営。また大型のアート作品の施工・設置も手がける。
http://sunhaus.hustle.ne.jp/

