去年の12月に、フィンランドの友人とした会話。
                
                「(岸井。下手な英語)たとえば日本の商店街のおじさんとかは、ミーティングしてディスカッションしても、問題は何も解決しないって思ってるんだ。」
                
                「(フィンランドの友人。上手な英語)ふうん、ということは、誰かが一人で解決するんだね?」
                
                「いや、日本人が問題解決に完全に一人で臨むなんて、想像することもできないよ」
                
                「じゃあ、問題を放置するのかい?」
                
                「そうでもない」
                
                「会議をしないで、大勢でどうやって問題を解決するんだい?」
                
                
                
                「つまり、、、いや、英語でなんていうんだろうと思って。ええと、そういうとき、彼らは、
                スープをシェアするんだよ。比ゆじゃなくて、文字通り。みんなで、スープを囲んで。
                で、3時間くらいシェアスープ(つまり、鍋)をすると、問題が解決しているのさ」
                
                「・・・宗教儀礼なのかい?」
                
                「いや!いや?いや、そうではない。ごく普通のことだよ。僕の家でも子供のころ週に1回はスープをシェアした」
                
                
                「君の家は何か敬虔な信者なのだろう?」
                
                
                「違うよ。スープを3時間シェアすると、それぞれのやることが決まっていたり、許しあっていたりして問題は解決しているんだ。」
                
                
                「そのスープの成分に何か特殊なスパイスが使われるのか?」
                
                
                「むしろ、スパイスは使わなさすぎるくらいだ。お湯と、野菜と、肉か魚だけが煮られる。」
                
                
                
                「おいしいのか?」
                
                「おいしい。」
                
                「それで本当に問題は解決するのか?」
                
                「賭けてもいいいいけど、ここに日本人が10人いたとして、問題の解決に、
                ディスカッションとシェア・スープのどちらが有効か、
                と聞いたら、まあ、8人くらいは、鍋と答えると思う。」
                
                宗教か、と問われ、僕はとっさに否定したけど、その通りなのかもしれないとも思う。
                絵本に出てくる魔法使いのような光景だ。
                
                
                私たちは、鍋をすると、コミュニティが生まれ、育まれ、仲の良さが促進され、企画が立ち上がり、
                プロジェクトの問題が整理・解決され、次につながる、と信じているようだ。
                たった3時間の鍋で。
                
                では、3週間鍋を続けると、どうなるだろうか?革命くらい起きるのではないだろうか?復興などするのではないか?
                聖火のようにスープと人の輪を24時間たやさず、一つの場で鍋をし続ける。
                3週間後には、その場から、素敵なことがたくさん起き始めるだろう。
A conversation with a Finn friend in December 2010.

                Kishii (in broken English) ”Some shop owners in Japan believe that discussion would not bring out
                 a single solution to help the descending local business at all.”
                
                Finn friend (in fluent English) “I see.  Some broke with a smart brain solve it on his own then?”
                
                Kishii “No way.  I can’t even imagine a single Japanese tackle such situation all alone.”
                
                Finn friend “well, you’d leave them behind, then?”
                
                Kishii “Not exactly…”
                
                Finn friend “What?  But you said you guys don’t get together to discuss?  
                How do you come up with a solution together with all the others?”
                
                Kishii “hmm…how should I tell you…… we share soup… We get together around a pot of soup. 
                 Spend three hours eating it together then the problem would be all gone.”
                
                
                Finn friend “…Is that some kind of religious ceremony?”
                
                Kishii “No No No No. What I said may have sounded funny, but it is very usual thing to do.  
                I have done the same thing with my family once a week in my childhood.”
                
                Finn friend “Yes yes.  You and your family are devoted follower, aren’t you?”
                
                Kishii “That’s not true.  Once people share a pot of soup for three hours, 
                people know what each of them should do, or respect each other in order to get over a problem.”
                
                Finn friend “Some kind of special goodie’s been blent in the soup as a spice?”
                
                Kishii “May be we are being conservative. We should try using a little bit of spice.  
                I mean, no spice or drug is in the ingredients.  Just some vegetables and either meat or fish’s been boiled in hot water.”
                
                Finn friend “Is that good?”
                
                Kishii “yeah.”
                
                Finn friends “Would the problem really been solved?”
                
                Kishii “I bet.  If you ask Japanese people to choose between discussion and share soup 
                for better problem solution, I bet, eight out of ten would choose share soup.”
                
                I have instantly denied the possibility of share soup being a religious act, 
                because it’s not!  At least, we don’t see it in that way!  However share soup may be causing a similar effect.
                Sounds like witchcraft popped out of a children’s picture book.
                
                It seems that we believe, by sharing a pot of soup with the others, 
                a new community would be formed and cultivated, friendship would be strengthen, 
                a new project would be brought up, problem would be put in order, solved and taken up to the next stage.
                …only by three hours of share soup.
                What if we share soup for three weeks?  What happens in the end?  
                Would it be a revolutionary movement finally breaks out?  Would it be a revival of any kind?
                We will continue sharing a pot of soup in one place for three weeks.  
                Taking close eye on keeping the soup and people’s circle around it, just like the flame of the Olympic games.
日時:2011年10月7日18時ー10月27日18時
参加希望の方は co.playworks (at) gmail.com までご連絡下さい。面談あり。
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50音順

作 岸井大輔
英訳 鈴木一郎太
デザイン ゴロゥ
システム 稲葉雅巳
WEB サトウアヤコ 羽鳥嘉郎

Share Soup Three weeks 記録サイト
2011年3月、原発事故が引き起きた。劇作家である僕が興味をもったのは東京電力の幹部の言動である。
            尊大な態度や指揮系統のずさんさは、日本人おなじみの、顔色を伺う談合主義経営からくるのだろう。
            海外からは理解しがたい故に国辱を感ぜざるを得ない彼らの態度は、
            すなわち、原発を、鍋による信頼関係によって動かしていたことをさらしているように思われる。
            町内会や、中小企業ならば意味があるであろう鍋コミュニケーションで、
            地球全体に影響を与える危険物を扱うのはいかがなものか。
            僕には福島原発は鍋の問題に思えた。
            事故後、デモが増えた。結構なことだ。
            が、彼らのメッセージのひとつ「絆」を深めるには、
            鍋によると考えていると見える。連帯を深めるやり方は鍋だけではないのに、
            日本人が仲良くなりコミュニティを形成するときには、内容の如何をとわず鍋的なものに頼っているように感じられる。
            結局、原発を巡り、鍋VS鍋の戦いになっているんじゃないか。
             
            そう考えると、第2次大戦において、現場の独走や根性主義の作戦が横行したのも鍋によるように思えるし、
            戦後の過激派やテロ組織も、鍋をしながら航空に爆弾を設置する計画を共有したように思える。
            出口はすべて鍋、永遠に繰り返す鍋、鍋しかできない国。
            私たちが第2次大戦について謝罪するとき、あるいは原子力発電所の事故を2度と繰り返さないと誓いを立てるとき、
            ひとつの方法は憲法に鍋をしないと明記することかもしれない。しかし、鍋全廃はキツイ。
            で、鍋批評をする必要を感じた。鍋について考え、鍋とはなにかを明らかにし、
            よい鍋ややってはいけない鍋をあきらかにするのだ。
             
            そうして初めて、日本の未来を描けるように僕は思うのだ。
             
            最後に、岡田利規さんの下記つぶやきを引用させていただきたい。
             
            SAVE JAPAN FROM JAPAN
             
            2011年10月31日 岸井大輔
本プロジェクトは、プレイワークス×東京アートポイント計画 「東京の条件2011」準備室2(仮)のオープニングワークです。
「東京アートポイント計画」は、東京の様々な人・まち・活動をアートで結ぶことで、 東京の多様な魅力を地域・市民の参画により創造・発信することを目指し、 「東京文化発信プロジェクト」の一環として東京都と公益財団法人東京都歴史文化財団が展開している事業です。