東京の条件は全パフォーマンスを終了しました。
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>東京の条件 ラストシーン 『九鬼周造とハンナ・アーレントを出会わせる』
(下から読むこと)
九鬼周造 @kukisyuuzoubot
永遠から永遠に/流れて盡きないあのヴォルガの/暗い呻き、凄い咽び、/傷ましい歎き、大きい悶え、(「露西亜の唄」)
ハンナ・アーレント @hannaharendtbot
逆にいえば、この「目的」は他のある点で手段となるようなものではない。なぜならこの「エネルゲイア(現存在)」=「人間の作品」=「演技」以上に高いところに到達することはできないからである。(『人間の条件』28)
ハンナ・アーレント @hannaharendtbot
アリストテレスが「作品(演技=現存在)」を「よく生きる」と定義したとすれば、ここでいう「作品」がワークの産物でなく、純粋な現存在にのみ存在することを示したのである。この行為は完全に手段と目的のカテゴリーの外部にある。目的を達成する手段がすでに目的である。(『人間の条件』28)
九鬼周造 @kukisyuuzoubot
さうでしょ、(「露西亜の唄」)
九鬼周造 @kukisyuuzoubot
さうよ、(「露西亜の唄」)
ハンナ・アーレント @hannaharendtbot
演技こそ作品であり、エネルゲイア(現存在)である。このようにアリストテレスは政治哲学の中で、政治において何が問題になっているのかよく気が付いている。人間としての「人間の作品」に他ならない。(『人間の条件』28)
ハンナ・アーレント @hannaharendtbot
人間が達成できる最大のこととして、生きた行為と語られる言葉が固執されたからこそ、アリストテレスのエネルゲイア(現存在)という観念が概念化された。この観念によって、目的を追わず、作品を残すことなく、ただ演技そのものの中に完全な意味のある全ての行為をさした(『人間の条件』28)
ハンナ・アーレント @hannaharendtbot
アリストテレスが「アクチュアリティ」の最高の可能性を活動と言論においてではなく、観照と思考においてみているのは、私達の文脈では重要ではない。(『人間の条件』第5章注(36))
九鬼周造 @kukisyuuzoubot
過去を起点とする小説はどのように長く繰り延べられても少しも差し支えないが、未来を起点とする戯曲は時間的経過に一定の限度を要求して来るのである。(『文学の形而上学』七)
ハンナ・アーレント @hannaharendtbot
約束をする能力の機能は、人間事象の二重の暗闇(自分自身を頼ることも信じる事もできないという自由に対する代償と、自分の行為の唯一の主人足りえないという多数性とリアリティに対して払う代償)を克服することである。約束は支配にとって代わる唯一のものである(『人間の条件』34)
ハンナ・アーレント @hannaharendtbot
ニーチェは、約束の能力(意志の記憶)こそ人間を動物から区別すると考えていた。人間関係における主権は、物世界における職人の能力と同じといってよい。しかし、前者は共に拘束された多数者によってのみ達成されるのにたいし、後者は孤立においてのみ考えられる(『人間の条件』33)
九鬼周造 @kukisyuuzoubot
それにも拘らず、ツァラトゥストラが民衆の超絶的信仰を獲得するために最後に忘れてならぬことは、運命の重荷を負ふ畸形の傴僂にとつて「謎を解く者」となり「偶然の救主」となることである。(「偶然性の問題」手澤本への書込み)
九鬼周造 @kukisyuuzoubot
「しかありき」といふことが、意志の切歯であり最も寂しき苦悩である。意欲するものが引返して意欲することができないから、極度に驚愕するのである。(「偶然性の問題」手澤本への書込み)
ハンナ・アーレント @hannaharendtbot
活動と言論の特定の内容は、その一般的な意味とともに、芸術作品の中でさまざまな形で物化されている。芸術作品は、偉業や達成を称賛し、ある異常な出来事を変形し、圧縮して、その出来事の完全な意味を伝える。活動と言論が暴露する生きた流れは模倣によってのみ表現される。(『人間の条件』25)
ハンナ・アーレント @hannaharendtbot
言葉と行為によって私達は自分自身を人間世界の中に挿入する。この衝動は、私達が生まれた時に世界の中にもちこんだ「始まり」から生じている(略)すでに起こった事にたいしては期待できないような何か新しいことが起こるというのが始まりの本性である。(『人間の条件』24)
九鬼周造 @kukisyuuzoubot
墨絵や無色映画が観賞者に全色盲の偶然性を強要するのも、ラヂオドラマが盲人の偶然性を強要するのも、みな根源を訪ねて見れば、芸術そのものの孤在的偶然的構造性格に基いてゐるのである。(『偶然性の問題』第三章一一)
ハンナ・アーレント @hannaharendtbot
筋を演ずる「俳優(アクター)」と「語り手」が「主人公」の意味を伝える。ギリシャ悲劇の場合でいえば、物語の一般的意味は合唱隊によって語られる。一方、行為者の一般化できないアイデンティティは演技(アクト)を通して伝達される。(『人間の条件』25)
九鬼周造 @kukisyuuzoubot
二本の花道は永遠を示す力動的な線である…彼が重い足どりで眼に涙を浮かべながら花道をたどるとき、我々も心の中で同じ重い足どりでたどる。重い足どりは我々が別離の度ごとに人生においてしばしば繰りかえすものである。そして別離はつねに一時的であると同時に永遠の別れでもある(「日本の演劇」)
ハンナ・アーレント @hannaharendtbot
結局、永遠にたいする関心のほうが不死を得ようとするあらゆる熱望に勝利した。しかし、この勝利は哲学的思想によってもたらされたものではなく、国家の没落が、人間の手による仕事は何一つ不死ではないことを立証したからである。(『人間の条件』3)
ハンナ・アーレント @hannaharendtbot
哲学者が永遠なるものを発見したのは、彼らが世界はどの程度まで続くのかというもっともな疑念を抱いていたからである。そしてこの発見の衝撃はあまりにも大きかったので、不死への努力は全て虚栄虚飾であるとして、これを見下さざるを得なかったのだろう。(『人間の条件』3)
ハンナ・アーレント @hannaharendtbot
永遠なる事物の探求と観照に捧げられる哲学者の生活であって、この永遠なる事物の不朽の美は、人間が介入してもたらすこともできなければ、人間がそれを消費することによって変えることもできないのである。(『人間の条件』2)
ハンナ・アーレント @hannaharendtbot
思考も、人びとが政治的自由の中に生きているところでは、まだ可能であり、疑いもなく現存している。(『人間の条件』45)
九鬼周造 @kukisyuuzoubot
私が生まれたよりももっともっと遠いところへ。そこではまだ可能が可能のままであったところへ。(音と匂)
ハンナ・アーレント @hannaharendtbot
プラトンの哲人王は、その「英知」によって、活動の難問をあたかもそれが解決可能な認識の問題であるかのように解決する。この哲人王の解決策は、一人支配の変種にすぎない。(『人間の条件』31)
九鬼周造 @kukisyuuzoubot
可能的存在としての本質の意味はPlatonのIdeaにより表はれてゐる。(「講義 文学概論」9)
ハンナ・アーレント @hannaharendtbot
可能性を問題にしだせば、その数は本性上、無制限であるばかりでなく、そもそも可能性というのは、具体的な出来事の意外性を欠いており、その欠如を単なる蓋然性で償うからである。その結果、ありえた可能性をどのように散文的に描こうと、それは純粋な幻にすぎないのである。(『人間の条件』35)
九鬼周造 @kukisyuuzoubot
可能的存在は普遍的であると云へる。(「講義 文学概論」9)
ハンナ・アーレント @hannaharendtbot
そのおかげで彼らは愛を普遍的経験だと誤解している。(『人間の条件』第5章注82)
ハンナ・アーレント @hannaharendtbot
愛が「ロマンス」と同じように一般的だという共通した偏見は私達が全て最初それを詩から学んだという事実からくるものであろう。しかし、詩人たちは私達を欺いているのである。つまり彼らは、愛が危機的経験であるばかりか不可欠な経験だと信じている唯一の人たちである(『人間の条件』第5章注82)
九鬼周造 @kukisyuuzoubot
ユウクリッドは偉い人、/宇宙の姿を線と点とに造り換へ/お前と俺、俺とお前/めぐり逢ひの秘密、/恋の反律。(「偶然性」)
ハンナ・アーレント @hannaharendtbot
プラトンの教義では永遠のイデアが消滅するものに君臨している。この教義が真実らしく思えるのは、消滅するものを作る時、拠り所とするモデルが永遠なものだからである。プラトンがイデアという言葉を使ったのは哲学的文脈においてだが実をいえばそれは製作の経験によっていた。(『人間の条件』19)
九鬼周造 @kukisyuuzoubot
一つの目標とは何かといふに、精神がはじめに先づ捕へられてゐる様に見える単なる印象の受動的世界を改造して、純粋な精神的表現の世界にすることである。(講義「現代哲学」Cassirerとの関連)
九鬼周造 @kukisyuuzoubot
精神的文化の種々違つた所産、例へば言語、学的認識、神話、芸術、宗教は各々内的に相異はしてゐるが、しかも唯一の大きい問題関連の成員となる。即ちそれらは一つの目標を追ふ多様な傾向である。(講義「現代哲学」)
九鬼周造 @kukisyuuzoubot
すべての認識は諸現象の多様性を理由律の統一性に従属させることを目標としてゐる。(略)そしてすべての真に精神的基本機能は認識と同様に、単なる模写的力ではなく、根源的に造形的力である。(講義「現代哲学」)
ハンナ・アーレント @hannaharendtbot
認識は常にはっきりとした目的を追求している。目的は、実践的な考えから設定されることもあれば、無益な好奇心から設定される場合もある。いずれにせよ、目的が達成されると認識過程は終わる。対し、思考は、外部に終わりもなければ目的もない。結果を生み出すことさえしない。(『人間の条件』23)
九鬼周造 @kukisyuuzoubot
「目的なき目的」の強調の結果、偶然は偶然でない如き相を呈して、自己否定の志向的構造を取るようになる。(『偶然性の問題』第二章八)
ハンナ・アーレント @hannaharendtbot
たしかに近代人は、着実に進歩する科学の見るからに批判のないオプティミズムによって、世界は現実的であると仮定できた。その限りで彼らはデカルト的超世界性が連れ去った地点よりももっと地球から遠い地点に移動した。(『人間の条件』45)
ハンナ・アーレント @hannaharendtbot
この最初の小さな衝撃(望遠鏡の発明と地球の自然を宇宙の観点から考える新しい科学の発展)はついには地球の表面全体を覆うに至った。最終的限界は、ただ地球そのものの限界だけで、今のところ明らかに無限である経済的蓄積過程をも覆うようになっているのである。しかしこれは単なる推測にすぎない。
ハンナ・アーレント @hannaharendtbot
彼らと同時代の人たちから見て、最も興奮を呼び起こしたのは、それまで耳にしたことのない大陸と夢にさえみたことのない大洋が発見されたことであったに違いない。そして、最も不穏であったのは宗教改革の結果西欧キリスト教がどうにもならないくらい分裂したことだろう。(『人間の条件』35)
九鬼周造 @kukisyuuzoubot
実証主義の解する意味でpositifといふ語を初めて用ひたのはSaint-Simonなり。(略)Saint-Simonは臨終に弟子達に向つて「大きい仕事を遂行するためには感激してゐなければならぬ」と云つた。(講義「現代哲学」)
ハンナ・アーレント @hannaharendtbot
17世紀以来、偉大な著作家、科学者、哲学者たちは、以前にはけして見られなかったものを見、考えられたことのない思想を考えたと乱暴なくらい頑強に主張した。ところが、発見時代の大航海者、探検者、冒険家たちには新しいものに対するこの奇妙なパトスは全く見当たらなかった(『人間の条件』35)
ハンナ・アーレント @hannaharendtbot
今、人間は、この地球の威厳ある外観と表面をまるで掌のようにくわしく知っている。しかし、利用可能な地球の空間が見えた途端、地球の収縮が始まった(略)人びとは、今や地球大の連続した全体の中で生活している(『人間の条件』35世界疎外)
2012.3.24


